2026年8月27日、理化学研究所と長岡技術科学大学の研究チームは、超音速のガスの渦を利用して、圧力の異なる二つの空間を隔てる新しい運転方法を開発したと発表しました。
この技術は「超音速渦の窓」と呼ばれます。
ここでいう窓は、ガラスや透明な板ではありません。超音速で流れるガスそのものを仕切りとして使い、光や粒子が通る穴を開けたまま圧力差を保つ技術です。
研究チームは、直径15mmの開口部を持つ小型装置を製作し、高圧側と低圧側の圧力比を最大約200まで高めました。
将来は加速器の小型化だけでなく、半導体製造装置や宇宙実験装置などへの応用も期待されています。
研究成果をまとめた論文は、科学誌『Review of Scientific Instruments』のオンライン版に8月6日付で掲載されました。
真空を使う装置にも「通り道」が必要
真空は、内部にある気体を大幅に減らした状態です。
加速器や電子顕微鏡、半導体製造装置などでは、気体の分子が粒子や光の進行を邪魔しないよう、装置の内部を真空に保つ必要があります。
しかし、装置を完全に閉じてしまえばよいとは限りません。
粒子ビームやレーザー光を通したり、試料を出し入れしたり、装置内の一部へガスを導入したりするための穴も必要です。
一般的な窓には、ガラスや薄い膜などの固体が使われます。ところが、固体の窓は粒子や物体を通せません。高出力のレーザーや粒子ビームを当てると、加熱や損傷が起きる場合もあります。
そこで考えられたのが、固体を使わずに圧力の異なる空間を隔てる「空力窓」です。
ガスの流れを仕切りにする「空力窓」

空力窓は、非常に速いガスの流れを穴の部分に作り、圧力の異なる空間の境界として利用する技術です。
ガスの流れが音速を超えると、下流側で起きた圧力変化が上流側へ伝わりにくくなります。
この性質を利用すれば、穴を完全にふさがなくても、ガスの流れによって圧力差を支えられます。
空力窓は1960年代後半、高出力ガスレーザーの光を低圧の装置内部から大気中へ取り出す技術として考案されました。
今回研究されたのは、ガスを渦状に流す「自由渦型空力窓」です。
排水口の周りにできる渦では、中心に近い部分ほど流れが速くなり、水面が低くなります。自由渦型空力窓でも、中心側ほどガスの流れが速くなり、圧力が低くなる性質を利用します。
理想的な渦から、あえて外す
従来の自由渦型空力窓では、ガスの流れを計算上の理想的な渦へ近づけることが基本でした。
ガスの供給圧力や流量を下げると、装置の壁に近い部分で流れが遅くなります。この遅い領域の影響が大きくなると、理想的な渦が崩れ、圧力差を保つ性能も低下してしまいます。
今回の研究チームは、ここで発想を変えました。
理想的な渦を保とうとするのではなく、高圧側を加圧し、低圧側を減圧して、渦の両側にかかる圧力差を意図的に大きくしたのです。
すると、ガスジェットの中に膨張や圧縮が生じ、渦自身が周囲の圧力に合わせて流れ方を変えました。
理想的な形から外れた渦を失敗と考えるのではなく、その変化を圧力の分離に利用したことが、今回の研究のポイントです。
圧力比は約5から最大約200へ
研究チームは、直径15mmの開口部に超音速の渦を作る小型装置を製作しました。
性能を比べるために使われたのが「圧力比」です。
圧力比とは、高圧側の圧力を低圧側の圧力で割った数値です。圧力比が200なら、高圧側の圧力が低圧側の約200倍あることを意味します。
従来のように理想的な渦へ近づけて運転した場合、圧力比は約5でした。
これに対し、周囲の圧力差を意図的に広げる新しい運転方法では、同じ装置で圧力比が約70まで上昇しました。
さらに、より低流量の構成で低圧側の排気を強めたところ、最大約200の圧力比が確認されました。
装置内の圧力分布は数値シミュレーションでもおおむね再現され、ガスの流れ方が変化したことで低圧側の圧力がさらに下がったと考えられています。
空気だけでなく、アルゴンやヘリウムでも圧力比が向上することが確認されました。
加速器のガスを必要な場所にとどめる
今回の技術は、理研のRIビームファクトリーで開発が進められている「荷電変換リング」への利用を想定して研究されました。
荷電変換リングは、重いイオンをリング内で何度も周回させる装置です。
イオンは「ガスストリッパー」と呼ばれる部分を通るたびに、ガスとの衝突によって電子を失います。これを繰り返し、加速しやすい状態のイオンを効率よく作ります。
この装置では、イオンが通過する場所にガスを置く一方、その周囲は高い真空に保たなければなりません。
固体の仕切りを置けば、イオンビームも通れなくなります。
超音速渦の窓を使えば、イオンの通り道を開けたまま、必要な場所へガスをとどめられる可能性があります。装置を小さくするための基盤技術としても期待されています。
半導体や宇宙への応用はまだ将来段階
真空と開口部の両方が必要になる装置は、加速器だけではありません。
研究チームは、半導体製造で使われるEUV露光装置への応用も挙げています。
EUV露光は、極端紫外線という非常に短い波長の光を使い、半導体チップに細かな回路を描く技術です。EUVは空気に吸収されやすいため、光の通り道を高い真空に保つ必要があります。
超音速の渦によって圧力差を保ち、同時に飛散する粒子の侵入を抑えられれば、装置の光学部品を守る技術につながるかもしれません。
宇宙船や宇宙実験装置でも、内部の圧力を保ちながら、光や粒子、試料を宇宙空間との間で通す窓として使える可能性があります。
ただし、今回実証されたのは小型の試験装置による圧力分離です。半導体製造装置や宇宙船への搭載が決まったわけではありません。
大気と真空の直接接続には多段化の実証が必要
研究チームは、二つの超音速渦の窓を直列に組み合わせた場合、理論上は全体で約4,550の圧力比を得られると評価しています。
しかし、この数値は実際の多段装置で確認されたものではありません。
今後は、複数の超音速渦の窓を組み合わせた状態で、より大きな圧力差を安定して保てるかを実証する必要があります。
今回の成果は、大気と高い真空を直接つなぐ完成装置ができたという発表ではなく、その実現に向けて圧力比を大きく高める新しい運転原理を示したものです。
渦の乱れを性能向上に利用する
今回の研究では、超音速のガスの渦を利用し、直径15mmの穴を開けたまま最大約200の圧力比を保てることが示されました。
注目されるのは、理想的な渦を作るのではなく、周囲の圧力差によって渦が変化する性質を積極的に利用した点です。
理想的な渦からのずれを抑えるのではなく、意図的な膨張や圧縮によって生じる流れの変化を、圧力分離性能の向上に利用しました。
まずは加速器への実装に向けた多段化の検証が必要です。その先で、半導体製造や分析装置、宇宙機器など、真空を利用するさまざまな技術へ広がるかが注目されます。
