月面と同じ重力でマウスのひじに変化 ISS「きぼう」の試料を分析

JAXAは2026年9月10日、産業医科大学の山中芳亮講師らが、国際宇宙ステーション(ISS)で飼育されたマウスの前脚を分析した研究成果を発表しました。

マウスが過ごしたのは、ISSの日本実験棟「きぼう」につくられた、月面と同じ「地球の約6分の1」の重力環境です。

約1カ月後の試料を調べたところ、前脚の筋肉と骨には統計的に明確な変化が確認されませんでした。

一方、ひじの関節を包む「関節包」は、地上で飼育したマウスより厚くなっていました。

研究成果をまとめた論文は2026年8月29日、学術誌『Journal of Orthopaedic Science』のオンライン版で公開されています。

目次

月面の重力は地球の約6分の1

月面の重力は、地球のおよそ6分の1です。

地球で体重60キログラムと表示される人に働く重力は、月では約6分の1になります。地球用の体重計で表すと約10キログラム相当ですが、体そのものの質量が減るわけではありません。

このような重力の弱い環境では、筋肉や骨にかかる負担も小さくなります。

ISSでは、重力の影響がほとんど感じられない微小重力環境を利用できます。しかし、そのままでは月面と同じ6分の1重力にはなりません。

そこでJAXAは、マウスの飼育ケージを回転させる装置を使いました。

回転によって外向きに働く力を発生させ、その大きさを調整することで、月面と同程度の重力がマウスにかかる環境をつくります。遠心力を利用した人工重力です。

今回再現されたのは、月面と同じ重力の大きさです。月の真空や放射線、温度、月の砂などを再現した実験ではありません。

なぜ前脚とひじを調べたのか

重力が弱い環境で、脚の筋肉や骨が衰えやすいことは以前から研究されてきました。

地上では、立ったり歩いたりするたびに脚が体重を支えています。その負荷が減るため、宇宙では脚に変化が起こりやすいと考えられています。

一方、腕やひじへの影響については、脚ほど詳しく分かっていません。

マウスは通常、四つ足で生活するため、前脚にも体重がかかります。ただし、研究チームは、後ろ脚よりも荷重の影響が小さい部位として前脚に注目しました。

重力の影響を受けやすい後ろ脚に比べ、前脚の筋肉や骨、関節について調べた研究は限られていました。

研究チームは、月面と同じ重力が前脚にどのような影響を与えるのかを調べるため、上腕三頭筋、前脚の骨、ひじの関節包を分析しました。

上腕三頭筋は、ひじを伸ばすときに使われる筋肉です。

関節包は、関節を外側から袋のように包む組織です。関節を安定させるとともに、動かせる範囲にも関係しています。

筋肉と骨には統計的に明確な変化なし

研究チームが上腕三頭筋の筋線維を調べたところ、月面重力で飼育されたマウスでは、地上のマウスより細くなる傾向が見られました。

ただし、統計的に意味のある差と判断する基準には、わずかに届きませんでした。

つまり、今回の結果だけでは「月面重力によって筋肉が細くなった」とは断定できません。

前脚にある橈骨と尺骨についても、骨の外側をつくる皮質骨の形態に、統計的に明確な違いは確認されませんでした。

ただし、これは月面重力による影響がまったくないと証明したものではありません。

影響が小さかったため、今回の実験では捉えられなかった可能性もあります。

ひじを包む関節包が厚くなっていた

一方、ひじの関節包には明確な違いが見つかりました。

月面重力で飼育されたマウスでは、地上で飼育されたマウスより関節包が厚くなっていたのです。

関節包は、動かない状態が続くと厚くなったり硬くなったりし、関節を動かしにくくする「関節拘縮」に関係する場合があります。

ただし、今回確認されたのは関節包の厚さです。

組織の硬さや、マウスのひじが実際に動く範囲までは測定していません。

そのため、「月面重力によって、ひじが曲がりにくくなった」と判断することはできません。

今回分かったのは、約1カ月の月面重力環境を経験したマウスで、ひじを包む組織の厚さに変化が見られたことです。

宇宙で飼育したマウスの試料を再利用

研究に使われたのは、JAXAのマウス飼育ミッション「MHU-4」と「MHU-5」で得られた試料です。

宇宙実験で採取された試料は、一つの研究だけに使われるとは限りません。保存された臓器や組織を別の研究者が分析することで、新しい疑問を調べられます。

宇宙へ生物を運ぶ実験には、多くの時間と費用がかかります。貴重な試料を保存し、複数の研究に活用することは、宇宙医学を効率よく進めるうえでも重要です。

JAXAが保存する宇宙マウスのデータや試料の活用については、関連記事「宇宙マウスのデータを研究者みんなで活用 JAXA・東北大の『宇宙バイオバンク』が本格稼働」でも紹介しています。

月面生活では腕の健康も重要になる

将来、人が月面に長期間滞在するようになれば、脚だけでなく腕や手の健康も欠かせません。

宇宙飛行士は、宇宙服を着た状態で器具を持ち、装置を操作し、施設の修理や試料採取を行う可能性があります。

関節を自由に動かせなければ、こうした作業が難しくなるかもしれません。

今回の結果は、月面重力の影響を考えるとき、筋肉と骨だけでなく、関節を包む組織にも注意する必要があることを示しています。

重力が直接の原因とはまだ言えない

今回の研究には、いくつかの注意点があります。

第一に、対象となったのは9週齢の雄マウスです。人間にも同じ変化が起こるとは限らず、年齢や性別によって結果が異なる可能性もあります。

第二に、飼育期間は約1カ月です。より短い滞在や、数カ月から数年に及ぶ生活でどうなるかは分かっていません。

第三に、比較対象は地上で飼育されたマウスです。

宇宙では重力以外にも、ケージ内での姿勢や運動量、生活環境などが地上と異なります。

関節包が厚くなったのが6分の1重力の直接的な影響なのか、それとも前脚の使い方や活動量が変わったためなのかは、まだ区別できません。

今後は、関節の動く範囲や組織の硬さ、運動量なども同時に調べる必要があります。

月では地球より体が軽く感じられます。

しかし、「体への負担が小さいから、健康への影響も少ない」と単純に考えることはできません。

筋肉や骨だけでなく、関節を包む組織まで含めて調べることで、月面で人が安全に活動するための準備が少しずつ進んでいます。

情報源・参考資料

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