2026年8月24日、東北大学、北海道大学、九州大学の研究チームは、アルコールとパン酵母、鉄イオンを利用して、水素を製造・貯蔵する新しい仕組みを実証したと発表しました。
今回の研究では、パン酵母の反応を利用して、水素を多価アルコールの中へ直接貯蔵します。そして必要なときには、鉄イオンと光を使って気体の水素を取り出します。
希少な貴金属への依存を減らし、より扱いやすい形で水素を貯蔵できる可能性を示した点が注目されています。
ただし、今回の成果はまだ研究室で基本的な仕組みを確認した「概念実証」の段階です。すぐに水素の製造設備や自動車へ使えるようになったわけではありません。
研究成果は、材料科学の専門誌『Journal of Materials Chemistry A』に掲載されました。
水素はつくるだけでなく、運ぶことも難しい
水素は、利用するときに二酸化炭素を直接排出しないエネルギー源として期待されています。
なかでも、持続可能な資源を利用し、二酸化炭素を排出せずに製造される水素は「グリーン水素」と呼ばれます。
ただし、水素は常温では気体です。そのままでは体積が大きいため、たくさん運ぶには高い圧力をかけて圧縮したり、非常に低い温度まで冷やして液体にしたりする必要があります。
こうした設備には費用がかかり、安全面にも注意しなければなりません。
さらに、現在使われている水素の多くは化石燃料からつくられており、製造時に二酸化炭素が発生します。
再生可能な資源から水素をつくる方法だけでなく、できた水素を安全にため、必要な場所まで運ぶ方法も重要な課題なのです。
水素を液体の分子に預ける「LOHC」とは?
そこで研究が進められているのが、液体有機水素キャリアです。英語名の頭文字から「LOHC」とも呼ばれます。
これは、水素を気体のまま容器へ詰めるのではなく、液体の有機化合物と化学的に結びつけて保存する技術です。
イメージとしては、有機化合物の分子に水素を一時的に預け、必要なときに取り出す仕組みです。
水素を含んだ物質を常温・常圧で扱える液体にできれば、既存の石油化学分野の貯蔵・輸送設備を活用できる可能性があります。
これまでにも、メチルシクロヘキサンやアルコールなどを利用する方法が提案されてきました。
なかでもアルコールは、バイオマスから製造でき、200℃以下の比較的穏やかな条件で水素を放出できる点が注目されています。
「多価アルコール」で水素の貯蔵量を増やす
従来研究で利用されてきたイソプロピルアルコールなどは、水素の貯蔵に関わる場所を分子内に一つ持つ「1価アルコール」です。
しかし、1価アルコールでは、物質の重さに対して貯蔵できる水素の量に限界があります。
今回の研究チームが注目したのは、「多価アルコール」です。
多価アルコールは、水素の貯蔵に関わるヒドロキシ基を二つ以上持っています。水素を結びつけられる場所が複数あるため、1価アルコールよりも高い密度で水素をためられます。
研究チームは、多価アルコールと多価ケトンを水素の貯蔵体と受容体の組み合わせとして利用しました。その結果、比較的穏やかな条件で水素を貯蔵・放出できるLOHCとして機能することを示しました。
パン酵母は水素を「ためる側」を担当
今回の仕組みで、パン酵母は多価ケトンを多価アルコールへ変える反応を助けます。
多価ケトンを水中でパン酵母とともに常温・常圧でかき混ぜると、水素を取り込んだ多価アルコールへ変化します。
ここで注意したいのは、パン酵母が水素ガスをつくり、そのガスをアルコールに詰め込んでいるわけではないことです。
酵母が糖を代謝する過程では、「NADH」という物質が生じます。
NADHは、生物の体内で電子や水素を受け渡す役割を持っています。今回の方法では、NADHと水に由来する水素を使い、多価ケトンを多価アルコールへ変化させます。
つまり、水素ガスをいったん製造してから圧縮するのではなく、水素を多価アルコールの化学構造に直接取り込んでいるのです。
従来のLOHCで必要だった、水素ガスの製造、精製、圧縮、貯蔵という複数の工程を簡略化できる可能性があります。
鉄イオンと光で水素を取り出す
ためた水素を取り出すときには、鉄イオンと光が使われます。
研究チームは、鉄イオンが光触媒として働き、多価アルコールから水素ガスを放出させることを確認しました。
光触媒とは、光のエネルギーを利用して、特定の化学反応を進みやすくする物質です。
水素を放出した多価アルコールは、もとの多価ケトンへ戻ります。その多価ケトンを再びパン酵母と反応させれば、水素を取り込んだ多価アルコールへ変えられます。
仕組みを整理すると、次のようになります。
- パン酵母の働きで、多価ケトンに水素を取り込ませる
- 水素を含む多価アルコールとして貯蔵する
- 鉄イオンと光を使って水素ガスを取り出す
- 多価アルコールを多価ケトンへ戻し、再び利用する
パン酵母が水素を「ためる側」、鉄イオンと光が水素を「取り出す側」を担当する循環です。

安価で豊富な材料を使えることがポイント
水素を出し入れする化学反応では、触媒として貴金属が使われる場合があります。
貴金属は高価で、産出量や産地も限られています。水素技術を広く普及させるには、触媒の価格や資源量も無視できません。
今回利用された鉄は、比較的安価で、地球上に豊富に存在する元素です。水素をためる側には、食品製造にも使われるパン酵母が利用されています。
また、研究対象となった多価アルコールは、植物などのバイオマスから製造できます。
特殊で希少な材料への依存を抑えながら、水素の製造・貯蔵・放出を一つの循環として組み立てたことが、今回の研究の特徴です。
実用化には反応効率や耐久性の検証が必要
この技術が実用化されれば、大規模な施設で製造した水素を遠くまで運ぶだけでなく、地域ごとに水素を製造・貯蔵する仕組みへつながる可能性があります。
液体として扱えるLOHCなら、高圧の水素ガスよりも貯蔵や輸送をしやすくなることも期待されます。
ただし、現時点で実用化や水素供給コストの削減が確認されたわけではありません。
実際のエネルギーシステムとして利用するには、水素を出し入れできる量や速さ、繰り返し使ったときの安定性、必要な光エネルギー、装置全体の費用などを詳しく調べる必要があります。
研究チームは今後、エチレングリコールなど、より適したアルコールを検討し、水素の貯蔵・放出性能を高めるとしています。
パン酵母と鉄イオンが水素技術を支える可能性
今回の成果は、パン酵母と鉄イオンという比較的身近で豊富な材料を、水素の貯蔵と放出に利用できる可能性を示したものです。
一方で、現段階は基本的な仕組みを確認した概念実証です。
今後は、反応効率や耐久性、装置全体のエネルギー消費、費用などを確かめる必要があります。
こうした課題を乗り越えられれば、地域で水素をつくり、必要なときまで安全にためておく、新しいエネルギーシステムへつながるかもしれません。
