覚醒を支える「オレキシン」とは? 柳沢正史氏がラスカー賞、研究が治療薬へ

私たちは、どうして日中ずっと「起きている状態」を保てるのでしょうか。

2026年9月9日、米国のラスカー財団は、2026年アルバート・ラスカー基礎医学研究賞を、筑波大学の柳沢正史教授と米スタンフォード大学のEmmanuel Mignot教授に授与すると発表しました。

評価されたのは、覚醒を維持する脳内物質「オレキシン」の発見と、オレキシンの不足がナルコレプシーと深く関係することを明らかにした研究です。

オレキシンが発見されたのは1998年。

その後の約30年で、睡眠と覚醒の仕組みについての理解が進み、オレキシンの働きを利用した治療薬も登場しました。

2026年8月には、オレキシンの不足というナルコレプシータイプ1の病態に直接働きかける新しい治療薬も日本で承認されています。

一つの脳内物質の発見が、どのように睡眠研究と治療へつながっていったのでしょうか。

目次

オレキシンって何?

オレキシンは、脳の「視床下部」と呼ばれる場所にある神経細胞で作られる物質です。

神経細胞どうしの情報伝達に関わる「神経ペプチド」の一種で、現在では目覚めた状態を安定して維持するために重要な役割を持つことが分かっています。

ただし、単純な「目覚まし物質」ではありません。

オレキシンは覚醒だけでなく、食欲やエネルギー代謝などとも関係し、体の状態や周囲の状況に応じて行動を調節する仕組みに関わっています。

そして意外なことに、発見された当初から「睡眠に関係する物質」だと分かっていたわけではありません。

最初は「食欲に関わる物質」として発見

1998年、当時米テキサス大学サウスウェスタン医学センターにいた柳沢教授らの研究グループは、働きがまだ分かっていなかった受容体に結合する物質を探していました。

受容体とは、特定の物質を受け取り、細胞へ情報を伝える仕組みです。

研究チームはラットの脳から、「オレキシンA」と「オレキシンB」という二つの新しい神経ペプチドを発見しました。

ラットの脳に投与すると食べる量が増えたことなどから、食欲を意味するギリシャ語にちなんで「オレキシン」と名付けられました。

ところが、その後の研究から予想外の役割が見えてきます。

オレキシンを作れないマウスにナルコレプシーのような症状

柳沢教授らはオレキシンの役割を調べるため、オレキシンを作れないマウスを作製しました。

すると活動期のマウスで、覚醒状態が細かく途切れるほか、突然体の力を失って倒れ込む発作が確認されました。

詳しく調べると、人のナルコレプシーで見られる症状によく似ていました。

1999年、研究チームはこの結果を科学誌『Cell』で報告します。

オレキシンは食欲だけではなく、睡眠と覚醒の切り替え、とりわけ覚醒状態を安定させることに重要なのではないかと分かってきたのです。

そして、ほぼ同じ時期に別の方向から研究していたグループも、同じオレキシンへたどり着きました。

犬のナルコレプシー研究もオレキシンへ

スタンフォード大学のEmmanuel Mignot教授は、ナルコレプシーを自然に発症する犬の家系を長年研究していました。

1999年、原因となる遺伝子を調べたところ、異常があったのはオレキシンを受け取る「オレキシン2受容体」を作る遺伝子でした。

柳沢教授らは、

「オレキシンにはどんな役割があるのか」

という方向から研究していました。

一方、Mignot教授らは、

「ナルコレプシーはなぜ起こるのか」

という方向から調べていました。

別々の研究が、ほぼ同じ時期に「オレキシン」という同じ仕組みにたどり着いたのです。

今回、2人がそろってラスカー賞を受賞した大きな理由でもあります。

ナルコレプシーとは?

ナルコレプシーは、睡眠と覚醒を安定して維持することが難しくなる神経疾患です。

代表的なのが、日中の強い眠気です。

タイプ1ではこれに加えて、笑ったり驚いたりしたときなどに突然体の力が抜ける「情動脱力発作」が見られます。

単に「眠気が強い」というだけではありません。

本来なら安定して続くはずの「起きている状態」と「眠っている状態」の境界が不安定になる病気と考えると分かりやすいでしょう。

2000年にはMignot教授らが、ナルコレプシー患者の脳脊髄液を調べ、9人中7人でオレキシンを検出できなかったと報告しました。

その後の研究も合わせ、現在ではナルコレプシータイプ1では、オレキシンを作る神経細胞が大きく失われ、オレキシンの働きが不足することが病態の中心にあると考えられています。

オレキシンを「抑える」と不眠症治療に

オレキシンの仕組みが分かると、新しい治療法も考えられるようになりました。

オレキシンが覚醒状態を維持しているのであれば、その働きを一時的に弱めれば、眠りに入りやすくなる可能性があります。

この発想から開発されたのが、オレキシン受容体拮抗薬です。

オレキシンが受容体へ作用するのを妨げることで、覚醒を維持する働きを弱めます。

現在では、スボレキサントやレンボレキサントなどの薬が不眠症治療に使われています。

つまり、オレキシンという基礎研究で見つかった仕組みが、実際の治療薬の標的になったのです。

反対に「働かせる」ナルコレプシー治療も

さらに興味深いのが、同じ仕組みを反対方向にも利用できることです。

不眠症では、オレキシンの働きを抑えます。

では、オレキシンが不足しているナルコレプシータイプ1では、その働きを補えばよいのではないでしょうか。

この考え方から開発されたのが、オレキシン受容体を刺激する「オレキシン受容体作動薬」です。

2026年8月24日、日本では武田薬品が開発したオベポレクストン(商品名オーゼイフル)が、成人のナルコレプシータイプ1治療薬として製造販売承認を取得しました。

オレキシン2受容体を刺激し、不足しているオレキシンのシグナルを補うように働きます。

米国でも同年8月5日にFDAが承認しています。

これまでの治療が眠気や情動脱力発作など個々の症状を抑えることを中心としてきたのに対し、オベポレクストンはナルコレプシータイプ1の根底にあるオレキシンシグナルの不足へ直接働きかけることが大きな違いです。

ただし、日本では8月の承認発表時点で発売準備中とされており、すでに広く使われている薬というわけではありません。

基礎研究から約30年かけて治療へ

今回のラスカー賞が興味深いのは、新しい物質を一つ発見したことだけではありません。

1998年にオレキシンが発見され、翌1999年にはマウスと犬の研究からナルコレプシーとの関係が明らかになりました。

2000年には、人でもオレキシンの不足が確認されました。

そして研究が積み重なることで、

オレキシンを抑える → 不眠症治療

オレキシンの働きを補う → ナルコレプシータイプ1治療

という、反対方向の治療へつながりました。

筑波大学は今回の受賞について、28年間で基礎研究から新薬開発まで進んだことも高く評価されたと説明しています。

「脳にこんな物質がある」という発見が、長い研究を経て実際の治療へつながった例なのです。

まだ睡眠のすべてが分かったわけではない

もちろん、オレキシンが分かれば睡眠のすべてを説明できるわけではありません。

私たちの睡眠と覚醒には、体内時計や睡眠欲求、さまざまな神経伝達物質、複数の脳領域が関わっています。

また、ナルコレプシータイプ1でなぜオレキシンを作る神経細胞が失われるのかについては、免疫系が関係することを示す証拠が蓄積しています。

特定の遺伝的背景を持つ人で、感染などをきっかけとした免疫反応がオレキシン神経細胞の消失につながるという考え方がありますが、発症までの詳しい仕組みには研究が続いている部分もあります。

オレキシンの発見は「睡眠の謎をすべて解いた」というものではありません。

むしろ、睡眠と覚醒という複雑な現象を、具体的な分子から調べる大きな入口を作った研究といえます。

「起きている仕組み」の発見が治療につながった

睡眠というと、私たちは「どうして眠くなるのか」に注目しがちです。

しかし今回の研究が明らかにした重要な点の一つは、私たちの脳には「起きている状態を安定して維持する仕組み」があるということです。

その中心的な役割を担う物質の一つがオレキシンでした。

1998年の基礎研究から約30年。

オレキシンの発見は、睡眠と覚醒の理解を大きく進め、不眠症やナルコレプシーの新しい治療法にもつながっています。

今回のラスカー賞は、身近な「眠る・目覚める」という現象を調べる基礎研究が、長い年月をかけて医学へつながっていったことを示す研究成果でもあるのです。

情報源・参考資料

  • ラスカー財団「Orexin—a brain peptide that maintains wakefulness」
  • 筑波大学「2026年アルバート・ラスカー基礎医学研究賞」
  • Sakurai et al., Cell (1998)
  • Lin et al., Cell (1999)
  • Chemelli et al., Cell (1999)
  • Nishino et al., The Lancet (2000)
  • 武田薬品「ナルコレプシータイプ1治療薬 オーゼイフル錠の日本における製造販売承認取得について」
  • 米国食品医薬品局(FDA)「FDA Approves First Drug to Treat the Full Range of Narcolepsy Type 1 Symptoms」

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